ひとりごと

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相棒が、白ワインを沢山持ち帰った。どうしたのかと訊ねると、今は亡き舅の兄、つまり相棒の伯父からのものらしい。話によれば相棒の伯父はもうワインをたしなむことが出来なくなったらしい。随分の高齢の彼は一人娘とその夫の3人暮らし。どうやら医者からワインを止めるように言われたらしい。娘はワインに限らず酒を一切飲まないし、娘の夫は多少は嗜むが、ワインを飲めなくなった妻の父親の手前上、飲みたいとも言えず、結局家族ぐるみで酒禁止となったらしい。それで昨年気に入りのワイン農家から大量に購入した白ワインをどうしよう、ということで、相棒のところに持ってきたとのことだった。嫌じゃなかったら貰ってくれないか。そういう話だったらしい。どうしてこんなにへそ曲がりな言い方をしたかと言えば、伯父と相棒は長いこと仲違いをしていたからだった。相棒の父親、つまり伯父の弟が9年ほど前に空の星になってから、ずっとこんな具合なのだ。ああしろ、こうしろと煩い。ムッソリーニみたいな人だと相棒は言ったが、私に言わせれば伯父の一人娘の方がよほどムッソリーニみたいだと思った。兎に角、そう言う訳でうちには伯父自慢の白ワインが沢山ある。ボローニャ近郊の丘で摘まれた葡萄で作った白ワインである。

そんな話をしたら、思い出したことがある。私はアメリカに暮らすまでアルコール類が駄目だった。ワインのみならず、ビールや梅酒と言った類も。毛嫌いしていた訳じゃない。欲しいと思ったことが無かっただけだ。だから付き合いで無理して飲むと具合が悪くなった。やはりこうしたものは、自ら欲してからこそ美味しく、体にも嬉しいのではないだろうか。アメリカに暮らし始めて色んな人と交わるうえで、ワインはいつも私達の真ん中に居た。初めは敬遠していたけれど、そのうち関心を持ち始めて、少し、また少し頂くうちに、こんな美味しいものをどうして今まで知らなかったのだろうと思うようになった。土地柄もあったかもしれない。カリフォルニアの北の方は、数々の素晴らしいワインが生まれる場所だったから。そうしているうちにワインと腐れ縁になった。夕食時にワインが無いなんて日はない。勿論相棒とふたりで一本開けることは無く、せいぜいグラスに一杯だけど。たまには仕事帰りに立ち飲みワインを楽しむこともある。あの立ち飲みワインは、なかなか楽しい。全然知らない人と偶然隣り合わせになった縁で、ワインを飲みながら一瞬の交流を楽しむことが出来るから。ワインが嫌いだったら、私の生活の楽しみがひとつ少なかったに違いない。
アメリカに暮らしてからの変化は、ワインのことばかりではない。私は結婚をしないと思っていた。別に男嫌いではなかった。ただ、恋愛を楽しむのはよくても、結婚はしない、とずっと思っていた。それが私の自由主義のひとつだったのかもしれないし、単に面倒くさいと思っていたのかもしれないが、今となってはそのどちらだったのか、それとも他に理由があったのか、思い出すことが出来ない。だから結婚すると母に告げた時、大変驚いたようだった。あれ程結婚に関心が無かった娘が、反対する母を説得して結婚したことを、実は私自身が一番驚いている。
アメリカが私を変えたとは思っていない。恐らく、アメリカに行って自分らしさというものを見つけて肩の力が抜けたら、色んな見えなかったこと、分からなかったことが見え始めたり分かり始めたりしただけなのだと思う。人にとやかく言われない世界。人と違っても良い世界。私にはそうした空気が必要だったのかもしれない。
アメリカが好きで飛び出した娘が、結婚相手の故郷のボローニャに棲みついた。私の家族はそんな私に驚いたかもしれない。実は私も驚いているが、でも、よく考えれば、色んな偶然が重なって私はボローニャに来たけれど、何時か此処に辿り着くようにできていたのかな、私の人生は、と最近思うようになった。勿論これが最終地点ではなくて、此れから私の人生の旅は続くのだけど。自分にもわからない最終地点。だから面白いのかもしれない、生きると言うことは。
と、白ワインをくれた相棒の伯父のことを考えていたら、こんなことを考えた。そんな日曜日。

ああ、甘いものが欲しい。とても美味しい甘いものが。そうだ、明日の帰り道にガンベリーニに立ち寄ろう。相棒と私の為に、小振りのトルタをひとつ。洋ナシとチョコレートのトルタがいい。こんな予定がひとつあれば、嫌いな月曜日も何とかうまく過ごせるに違いない。




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オレンジの匂いがする

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猫というのはそういうものか、と思うことがある。例えば掃除機を掛けていると怪獣が来たみたいに飛びのいて、何かのカバーの中に逃げ込んだり。例えば何かのお祝いで、それとも気分を盛り上げるためにシャンパンの栓を派手な音を立てて抜いたりすると、ヒャーと言わんばかりに飛び上がったや否や家具の下に逃げ込んでしまったり。そうかと思えば建物の階段を上がってくる足音を聞き分ける能力があるのか、家の扉を開けると真正面に三つ指をついて待っていたり。この2年間、猫を通じて色んなことを考えた。うちに、この猫がやってこなかったら考えることもなかったようなことばかり。うちに猫が来て、良かったと思っている。

何時もの生活に戻って2週間が経つ。たったの2週間。でもずいぶん経ったような気がするのは、夕方の空が明るくなったから。じきに仕事帰りの散策が楽しみになるだろう。明るい夕方、そしてほんの少し寒さも緩んで。今日は朝から空の機嫌が悪いらしく、鼠色の雲が立ち込めていた。空気を入れ替えようと思って窓を開けたら、寒い。思わず窓をぴしゃりと閉めた。一頃のような恐ろしい寒さではないにしても、油断はならぬ、注意しなければならない。だから、こんな空の日は家に居るのが一番、と思っていたが、折角の土曜日なのだから散歩でもしたらどうだい、まるで冬眠している小動物のようじゃないか、と相棒に促されて外に出た。
サルディが始まって2週間経った旧市街。割引率が大きくなったようだ。2月にもなると春物がショーウィンドウを飾り始め、サルディとは言え、人々の冬物への関心が急激に下がるから、早いところ売りつくしてしまおうと言うことなのだろう。事実、私は既に冬物への関心を失ってしまった。冬物はもういい。それよりも春先の軽快なものを見たい。だから、冬物とは言え檸檬色のコートや軽快な色が飾られているのを見つけると、吸い込まれるようにショーウィンドウの前で足を止める。さて、土曜日。食料品市場界隈は大変賑わっていた。2軒続きの魚屋は今日も大変な繁盛ぶりで、前を通過するのが大変だった。青果店は何処もオレンジが山積みだった。今が旬。シチリアのオレンジは今が旬だ。店の人がオレンジをひとつ剝いて客に試食させていた。剝いた瞬間、ふわっといい匂いが辺りに漂い、私はあっという間に15年前に連れ戻された。
15年前に相棒とシチリアへ行った。シチリアまでの旅は車で、全く長い道のりだった。車の運転は苦にならぬ相棒ですら、長くて長くてどうしようもなかったようだ。私達はホテルも予約してなければ、今日は何処へ行くと言った予定もなかった。思いついたところにホテルの部屋をとり、朝、気が向いた方向に車を走らせればよかった。3月初旬。ボローニャではまだカシミヤのセーターや重いコートを着こんでいたと言うのに、此処では誰もがコットンのシャツに軽いジャケットという装いで、まるで異国に来たような錯覚を覚えた。スカーフをしない首元が寒くない気候。私はボローニャに暮らし始めて以来、何故イタリアが南欧と呼ばれているのだろうと首を傾げてばかりいた。何故ならボローニャときたら11月から4月初めまで寒く、とても南欧などとは呼べない気候である。しかしシチリアならば話が違う。確かにここは南欧と呼ぶのにふさわしい気候と空気があった。私達が最初に泊まった海辺の街。メッシーナやタオルミーナを通過して、小さな漁村に部屋をとった。観光シーズンが始まっていないらしく、小さなホテルの部屋はふたつしか塞がっていないとのことだった。いい部屋をあてがいましょうとホテルの主人が言った通り、私達の部屋の大きな窓を開けると小さなテラスがあり、その先には海があった。夏には沢山の人達が来るらしいこの村も、今はまだ人が居なくて静かだった。翌朝には別の街へと発つつもりだったのに、もう1泊したくなったのは波の音に耳を傾けながら眠りに就くのが素敵だったからだ。そんなことをホテルの主人に話すと、同じような人達が居ると言った。隣の部屋に泊まっているアメリカ人夫婦。まだ、仕事を引退するには早すぎる年齢の人達。彼らはこの辺りにあるゴルフコースでゴルフを楽しむ人達で、毎年この時期にやって来る。他にも気の利いたホテルは沢山あるのに、この漁村の小さなホテルを常宿にしているのは、波の音が聞こえるかららしい。波の音を聞きながら眠りに落ちる。そんな経験はあれはが初めてだった。漁村はぐるりと歩けばあっという間にひと回りできてしまう程、小さかった。内側にある商店街や広場に並ぶ街路樹はオレンジの樹。誰も実を捥いで食べようとしない。捥いではいけないのかもしれないと思いながらも、人目を盗んでオレンジに手をのばそうとしたところ声を掛けられた。ひゃ。叱られるのかと思ったが、そうではなかった。これよりもあっちの方が美味しい筈だと、と、おじさんは上の方からオレンジを捥いでくれた。ありがとう。礼を言ってホテルに持ち帰ったオレンジ。皮を剝くなり、ふわっといい匂いが広がった。食用として育てられている訳ではないオレンジの樹だから味は大して期待していなかったが、太陽の光をたっぷりと吸収した、温かくて甘酸っぱくて、私達を充分喜ばせてくれた。オレンジの匂いがすると、何時も15年前に引き戻されるのは、そんなことがあったからだ。私は内陸にばかり居過ぎるようだ。光る波。穏やかな気候。シチリア。また行きたいと思う。

温かいカップチーノを頂こうと思って近所のバールに立ち寄ったら相棒と一緒になった。何かいい物あったかい?と訊ねる相棒。嬉しそうな顔をしている私が、サルディで何かいい物を見つけたと思ったのかもしれない。うん、シチリアのオレンジの匂いがした。そう答えたら、彼も15年前のあの日のことを思い出すだろうか。




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北風

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ホリデーシーズンが過ぎると、私にとって一年で一番退屈な時期に突入する。兎に角わくわくするようなことがすぐ先に存在しない。この時期で楽しみと言ったら、少しづつ日が長くなることくらいだろうか。16時半には真っ暗になっていたのが17時近くまで薄明るいと、夕方の空に向かって、頑張れ、頑張れ、と応援したくなる。もう少しすると17時半ごろまで薄明るくなる。そうすると春がやって来るめどがついて、気分が俄然アップするのだ。春がやって来るめど、と書いて、なかなか良い言葉だと思った。春がやって来る。春がやって来る。まだ、あと2か月以上も先のことだけど。

連日風が強い。北風だ。20年も前の冬に、友人がボローニャにやって来てこんなことを言った。東京の冬はボローニャより気温が高くて温暖な筈なのに、風が強いから酷く寒く感じる。対してボローニャの冬は気温が低いが風が吹かないから、寒いには違いないが其れほど辛くない。その頃私はボローニャの寒さに辟易していたものだから、ふーん、そんなもんかしらねえ、などと聞き流したものだけど、この連日の強い冷たい風が身に沁みて、友人が言った言葉を思い出した。確かに風が吹くと寒く感じる。昨日今日の風は特に強い。日除け戸というのか、雨戸というのか、兎に角、窓という窓に備え付けられているシャッターをしっかり下したはいいが、おお風邪に煽られてがたがたうるさい。煩わしい訳ではない。ただ、風に煽られたシャッターの音が、妙に私を不安にさせる。そんな音を聞きながら、アメリカを引き払ってボローニャにやって来た日のことを思い出した。
ボローニャ空港に到着して、其の足で私達は両親のところへは行かなかった。相棒の友人、クリスティーナのアパートメントに居候することになっていたからである。相棒の両親のところに転がり込むのを、相棒が嫌がったからだった。それは私にとっても好都合で、相棒が友人のところに居候すると知って私は喜んでいた。さて、ボローニャ空港からタクシーで友人が暮らすアパートメントの前で降りた時、私は酷く戸惑った。何故なら恐ろしく古びた建物だったからだ。朽ちている。寂れている。後は他にどんな表現があるだろうか。旧市街の隅っこに在ったその建物にはやはりポルティコが備え付けられていたが、中心部でよく見る美しいフレスコ画が施されていたり、柱に彫刻が施されていたり、と言った優雅なものではなく、兎に角古びた木製のポルティコだった。何とも言えぬ不安を掻きたてる建物、界隈だったが、相棒は、何て素敵なんだ、と建物にしても界隈にしても手放しに褒め称えた。相棒の友人と一緒に暮らしている女性が仕事から帰ってきて建物の中に入ると、もう一度驚かねばならなかった。ドアの内側は殺風景で電気をつけても薄暗く、まるで戦時中、又は終戦直後の映画のような雰囲気だった。一番上の階まで階段を上った。壁はコンクリートがむき出しで、昔観たひまわりという映画の中でマストロヤンニがマッチ棒を壁にこすりつけて火をつけたのを思い出させるような壁だった。薄暗くて寂しい感じの階段だった。ガチャガチャと大きな音を立てて鍵を開けて中に入ると思いのほか明るかった。直ぐに目に入ったのが床のタイル。15センチ四方の古い大理石のタイルだった。建物が古いのと同様に床も大変古く、100年は経っているとのことだった。居間は大変明るくて、窓から外を覗くと、広い庭があった。その庭がアパートメントの住人の誰もが楽しめる庭だったのか、それとも地上階に暮らす家の庭だったのか、今となっては思い出せない。ただ、手入れがされていない雑然とした感じの庭に見えるように、庭師が手入れしていると聞いて、驚いたことは覚えている。窓辺に立って驚いたのは壁の厚さだった。外側の壁の厚みは50センチもあっただろうか。部屋と部屋の仕切りにしてもゆうに30センチはあったと覚えている。天井や床も同様に厚みがあるらしく、階下の物音も、隣の家の音も聞こえなかった。この家は、相棒の友人が一目惚れして借りたらしかった。少し先に両親が住んでいて、立派で広々とした両親のアパートメントには彼女のスペースも充分あったのに、彼女は敢えてこの錆びれたアパートメントに住むことを好んだと知って、私には訳が分からなかったが、この家に来る誰もが此の雰囲気を褒め称え、気持ちが分かると頷いた。居間には古い大テーブルや食器棚があったが、彼女の部屋も同様だった。彼女は骨董品が大好きだからだ。真鍮のベッド。とても高くて、ベッドに入るのが大変だった。それから1920年代のマホガニーの大きな机。彼女は弁護士の卵だったから、何時も勉強をしているらしかった。壁には大きな本棚。天井から木製の鳥かごが吊るされていて、窓辺には植物があって。広くない部屋に沢山の骨董品が詰め込まれていて、私に言わせれば骨董品店そのものだった。彼女と同居している女性の部屋は全く対照的で、実に物が少なかった。必要最低限の家具しかなくて、白い麻のカーテンが窓に備え付けられていて、ベッドの上に蚊帳が備え付けられていて、どちらかと言えば私はこうしたものの無い部屋の方が好きだと思ったのを覚えている。このふたりにとってこのアパートメントは、大変暮らしやすいらしい。静かだし、旧市街で便利だし。それから窓から見える庭が好きだし、大理石の古いタイルが好きだし、と言わせておけばいつまでもそんな言葉が続いて出て、結局全部が好きなんでしょう、と私がからかうと、ふたり揃って首を横に振るのだ。嫌いなものがひとつある。窓の外に備え付けられた木製の扉。それは日除けの為であり雨避けの為なのだが、風雨の日や大風の日は、がたがたと音がする、扉が閉まっていると言うのに。その音が耳について眠れない。何となく不安にさせる音だと言った。立て付けが悪いのだと言った。しかしいくら直して貰っても、少しも直らないのだとも言った。これさえなければ完璧なアパートメントだと言った彼女達。私と相棒はあのアパートメントに約ひと月居候したけれど、遂にその音を耳にすることは無かった。夏の良い時期だったからだろう。冬だったらば彼女達が嫌っていた音を頻繁に耳にしたのかもしれない。

この風が、週末までに止んでくれるといいけれど。週末は散歩をしたいから。久しぶりに路地探検でもしようかと思って。




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1月

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目を覚ましたら鼠色の空。曇り空とも呼べるが、其れよりも雪雲と呼んだほうが良いようなそらだった。一昨日の冷たい大風。昨日の驚くべき快晴と冷たい風。そして今日はこんな空で、私達人間は1月の空に大いに振り回されている。特に私。私は天気で気分がアップダウンするから困りものだ。あれは間違いなく雪雲だが、かと言って雪が降るでもなく。雪は降らないのだ、と思い始めた昼過ぎ、遂に雪が降り始めた。初めは目を凝らさなければ見えないような小さな雪の欠片で、そのうち窓越しに雪と分かるような雪が降り落ちてきた。積もらねば良いけれど、と心の隅っこで願いながら、窓辺に佇んで雪が舞う様子を眺めていた。

1月。忘れもしない1月のこと。私は相棒の車でローマを目指した。ボローニャで安定した仕事に就くことを諦めた私は、ローマに就職先を見つけた。普通の人ならば、配偶者を置いて別の街にひとりで引っ越しするなんて考えもしないだろう。だから私がローマで仕事を得て、独りローマに移り住もうとするのを周囲の人達は決して快く思っていなかったと思う。でも、私にとって周囲の人達がどう思うとかはあまり大きな問題ではなかった。私は、相棒が同意してくれていればそれで十分だった。相棒は、恐らく寂しかったに違いない。その証拠にローマの仕事の誘いがあった後、酷く慌ててボローニャで私がしたいと思うような仕事が無いかと探し回っていたから。21年も前のことである。あの頃のボローニャと言ったら、外国人が定職に就くなんて夢のような話だった。私がローマの仕事に就くことを相棒が了解してくれたのは、相棒がボローニャでの現実を知ったからと言っても良かった。私は自分の足で立って生活するのが好きだった。結婚しているからと言って相棒に頼って生活することが出来ないタイプの人間だった。もし私が違うタイプの性格だったら、どんなに楽だっただろう。兎に角そんなだから、相棒も引き留めることをせずに、思い切り頑張ってくるといい、と送り出してくれた。
ローマへ行けばすべてがうまくいく、なんて思っていなかった。でも、少なくとも自分の力で生活を切り開いていかねばならぬことで、失いかけていた自分を取り戻すきっかけとなった。好きだったアメリカの生活を引き払ってボローニャに暮らし始めてから、私は日に日に元気を失っていったから。外国人というのは、と言われるばかりで、肩身が狭くて仕方なかった。自分が外国人であることを始めて実感したのもそのころである。私がアメリカに暮らしていた頃は、自分を外国人と感じたことがあまりなかったからである。ローマの何がよかったかと言えば、例えば空が広いこと。大観光地であるが為に外国人であることで周囲に注目されないで済んだこと。もっとも知らない土地で生活するのは簡単とは言い難かったが、しかしいつもどの国のどの町でも始めはそんな風だったから、別に辛いとは思わなかった。
今思えば、随分勇気があったと思う。同じことを今の自分が出来るかと言えば、それはちょっとわからない。若かったからできたことなのかもしれない。いいや、それとも人間切羽詰れば火事場の底力みたいに。なんとかしなければ、と行動に移すことが出来るのかもしれない。そして今思うことは、あの時の世間的には突拍子もない行動が今の自分を支えていると言うこと。くじけそうになった時に思いだすのは、何時も21年前の1月のことだ。出来ない事なんてない。不可能なことなんてない。やってみればいいだけなのだ、と。
最近知ったことなのだが、そんな突拍子もない行動をとって周囲を驚かせて、随分と後ろ指を刺されたというのに、あの頃のそんな私のことを相棒は誇りに思っていてくれたことだ。私を強い人間だと、諦めない人間だと、周囲の評判を気にしないで前に進んで行ける女性だと。確かに彼は寂しかっただろうけれど、そんな風に思ってくれていたのだ、やはり応援してくれていたのだと21年も経ってから知って、私は相棒に頭が上がらない。私が自分を取り戻せたのは、私がローマで仕事をすることが出来たのは、結局自分の力ではなくて、そうした見えない相棒の支えがあったからなのだと。
1月というのはそういう月だ。一年に一度くらい思い出して、それらの全てに感謝するのも悪くない。

それにしても雪はあっという間に止んでしまった。これでいい。積もったりしたら後が厄介だからという私を、ロマンティックでないと人は言う。ロマンティックねえ。勿論私もロマンティックは好きだけど、出来れば雪は避けておきたい。その代わりにこんなのはどうだろう。月を眺めながら相棒と旧市街の広場を一緒に散歩する。寒いから腕をぎゅっと組んで、寄り添って。恋人時代にそうしたように。




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嬉しい土曜日

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夜が明けてみれば天候は一転して快晴。嬉しい。てっきり雪でも降るかと思っていたものだから、朝から気分は爽やか。家の中の空気を入れ替えようと思って窓を開けたら、途端に冷たい空気が流れ込んだ。風は止んでいないらしい。それから寒さも。窓を閉めて外を眺める。下の家のテラスはとても広い。広いって50平米ほどあって素晴らしいのだ。自分のテラスではないけれど、こうして外を眺めるとテラスの樹木が私の目を楽しませてくれる仕組みである。それにしてもテラスが凍り付いている。木の枝には氷柱のようなものも。昨日降ったほんの少しの雨が乾かないうちに凍り付いてしまったらしい。今日の冷たい風では、氷は解けることが無いだろう。きっと下の住人も、同じようなことを思っているに違いない。

数日前、仕事帰りに旧市街の小さな店に立ち寄った。何時も帰りのバスの窓から眺めていた、数年前に店を開けた仕立て屋さん。それまで仕立て業は店を持たずに自宅でする人が多かった。ところがここ数年、仕立て屋さんが店を持つようになったのは、需要が多くなったと言うことなのだろう。この小さな店は案外客が多いらしい。何時も客の出入りがある。腕が良いのだろうか。それとも料金が他より安いのだろうか。そんなことを思っていたところ、ある日、旧市街の衣料品店から、この仕立て屋さんを勧められた。旧市街の多くの衣料品店と契約をしているらしい。此処に持っていけば間違いない、と言うことらしかった。私は手持ちのパンツが何となくしっくりこなくて困っていたのだ。何となくゆるくて良くなかったのだ。しかし直せるのだろうか。そんなことを思いながら、店に入ったと言う訳だった。店は夫婦らしき男女で営まれていて、彼がお金の管理と伝票を、彼女が仕立て業をしていた。頼めば服も縫ってくれるらしい。パンツを穿いて見せると、あなたは腰が張っていないから、と言って私を笑わせながら、ピンであっという間に数か所を摘まんだ。ほら、こうすればいい。と言う彼女には全く驚きだった。彼女いわく、自分の体の寸法に合っていないものは、何となく格好良く見えない。それからそういうものを着ていると、体のラインも崩れるのだそうだ。だから1センチくらい、と思わずに、1センチを直すべきなのだと。こんなに若いのにずいぶん経験が豊富らしい。衣料品店の店主が言った通りだ。此処に持っていけば間違いない。旧市街の多くの衣料店が丈詰めや幅調整に商品を持ち込むと言うのも納得だった。彼が伝票を書いている間、彼女が私に訊ねた。あなた、何処の人なの? こういう質問はよくあることだ。何処へ行っても必ず訊かれる。日本人だと答えると、彼女は自分はブラジル人だと言った。それには私は驚いた。何故なら彼女はボローニャの人ではないと思っていたけれど、他の州から来たイタリア人だと思っていたからだ。完璧なイタリア語。だけどボローニャのアクセントではない、と。イタリア人だとばかり思っていたと驚くと、彼女は嬉しそうに笑った。多分そうでもないと、ここで店をやっていけないのかもしれない。引き取りは一週間後。今はサルディで契約店から山ほどの衣服がお直しに流れ込んでいるから、直ぐに作業に取り掛かることが出来ないそうだ。上等である。忙しいのは腕が良い証拠。良い店を教えて貰った。

土曜日は駆け足。楽しい時間はあっという間に経ってしまう。そんな土曜日に、相棒から小さなプレゼントを貰った。2か月遅れの誕生日プレゼントらしい。銀の器。15センチ四方の、少し深みのある器。小振りだがずしりと重い。角という角が丸み帯びていて、柔らかい印象だ。縁は緩やかな曲線。器の内側には野に咲く草花や樹木、そして蝶が飛び幸福の白いハトが二羽彫り込まれていた。丹念に磨いて美しい銀の輝きを取り戻したが、時代ものなので新品では得ることの出来ない柔らかい輝きが嬉しかった。嬉しそうな顔で銀の器を布で磨く。柔らかく、丁寧に、優しく。猫は先ほどから銀の器に八つ当たりばかりしている。ライバル登場と言うところだろうか。そんな平和な土曜日。




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