
相棒が、白ワインを沢山持ち帰った。どうしたのかと訊ねると、今は亡き舅の兄、つまり相棒の伯父からのものらしい。話によれば相棒の伯父はもうワインをたしなむことが出来なくなったらしい。随分の高齢の彼は一人娘とその夫の3人暮らし。どうやら医者からワインを止めるように言われたらしい。娘はワインに限らず酒を一切飲まないし、娘の夫は多少は嗜むが、ワインを飲めなくなった妻の父親の手前上、飲みたいとも言えず、結局家族ぐるみで酒禁止となったらしい。それで昨年気に入りのワイン農家から大量に購入した白ワインをどうしよう、ということで、相棒のところに持ってきたとのことだった。嫌じゃなかったら貰ってくれないか。そういう話だったらしい。どうしてこんなにへそ曲がりな言い方をしたかと言えば、伯父と相棒は長いこと仲違いをしていたからだった。相棒の父親、つまり伯父の弟が9年ほど前に空の星になってから、ずっとこんな具合なのだ。ああしろ、こうしろと煩い。ムッソリーニみたいな人だと相棒は言ったが、私に言わせれば伯父の一人娘の方がよほどムッソリーニみたいだと思った。兎に角、そう言う訳でうちには伯父自慢の白ワインが沢山ある。ボローニャ近郊の丘で摘まれた葡萄で作った白ワインである。
そんな話をしたら、思い出したことがある。私はアメリカに暮らすまでアルコール類が駄目だった。ワインのみならず、ビールや梅酒と言った類も。毛嫌いしていた訳じゃない。欲しいと思ったことが無かっただけだ。だから付き合いで無理して飲むと具合が悪くなった。やはりこうしたものは、自ら欲してからこそ美味しく、体にも嬉しいのではないだろうか。アメリカに暮らし始めて色んな人と交わるうえで、ワインはいつも私達の真ん中に居た。初めは敬遠していたけれど、そのうち関心を持ち始めて、少し、また少し頂くうちに、こんな美味しいものをどうして今まで知らなかったのだろうと思うようになった。土地柄もあったかもしれない。カリフォルニアの北の方は、数々の素晴らしいワインが生まれる場所だったから。そうしているうちにワインと腐れ縁になった。夕食時にワインが無いなんて日はない。勿論相棒とふたりで一本開けることは無く、せいぜいグラスに一杯だけど。たまには仕事帰りに立ち飲みワインを楽しむこともある。あの立ち飲みワインは、なかなか楽しい。全然知らない人と偶然隣り合わせになった縁で、ワインを飲みながら一瞬の交流を楽しむことが出来るから。ワインが嫌いだったら、私の生活の楽しみがひとつ少なかったに違いない。
アメリカに暮らしてからの変化は、ワインのことばかりではない。私は結婚をしないと思っていた。別に男嫌いではなかった。ただ、恋愛を楽しむのはよくても、結婚はしない、とずっと思っていた。それが私の自由主義のひとつだったのかもしれないし、単に面倒くさいと思っていたのかもしれないが、今となってはそのどちらだったのか、それとも他に理由があったのか、思い出すことが出来ない。だから結婚すると母に告げた時、大変驚いたようだった。あれ程結婚に関心が無かった娘が、反対する母を説得して結婚したことを、実は私自身が一番驚いている。
アメリカが私を変えたとは思っていない。恐らく、アメリカに行って自分らしさというものを見つけて肩の力が抜けたら、色んな見えなかったこと、分からなかったことが見え始めたり分かり始めたりしただけなのだと思う。人にとやかく言われない世界。人と違っても良い世界。私にはそうした空気が必要だったのかもしれない。
アメリカが好きで飛び出した娘が、結婚相手の故郷のボローニャに棲みついた。私の家族はそんな私に驚いたかもしれない。実は私も驚いているが、でも、よく考えれば、色んな偶然が重なって私はボローニャに来たけれど、何時か此処に辿り着くようにできていたのかな、私の人生は、と最近思うようになった。勿論これが最終地点ではなくて、此れから私の人生の旅は続くのだけど。自分にもわからない最終地点。だから面白いのかもしれない、生きると言うことは。
と、白ワインをくれた相棒の伯父のことを考えていたら、こんなことを考えた。そんな日曜日。
ああ、甘いものが欲しい。とても美味しい甘いものが。そうだ、明日の帰り道にガンベリーニに立ち寄ろう。相棒と私の為に、小振りのトルタをひとつ。洋ナシとチョコレートのトルタがいい。こんな予定がひとつあれば、嫌いな月曜日も何とかうまく過ごせるに違いない。





